アスレチック

 私が老人ホームから逃亡したのは、私がヘルパーたちに虐待を受けていたからだった。老人ホームでは、頭を軽くはたかれたり、幼児口調で話しかけられたりすることが頻繁にあった。しかし私は反抗できなかった。面会にくる娘にもなにも打ち明けられなかった。「虐待の《原因》が私にある」という考えが、現状をうちやぶる機会を失わせていた。というのも、あるヘルパーに恋愛にまつわる好奇心をいだき、彼女の身体を触って悲鳴をあげられたことが、すべてのきっかけだったからである。それからというもの私は卑猥な存在として扱われるようになった。はじめのうち、それはヘルパーたちから投げかけられるにしては少しなれなれしい冗談のようなもので、悲鳴のエピソードは笑い話だった。しかし、ありがちなことだが、冗談がだんだんと苛烈さを獲得し、虐待にまでいたってしまった。虐待はときに他の老人にも飛び火し、そのせいで私は老人のあいだでも孤立することになった。よりどころにして怒ることのできるような立場を、つまり正義を、私は最初からうばわれていた。

 それで、私はとにかく耐えるということを覚えた。具体的には、毎日夜中になると、じぶんの体を抓り、叫びたくなる気持ちをとにかく抑えたのだった。そのようにして自らの老衰を待つことに望みを託した。ばかばかしくて惨めだったが、このまま老衰していき、何もわからなくなる年齢まで生きていけるような気がしていた。ところが、さいきん新しく入ってきた男のヘルパーが虐待を覚えると、彼は限度を知らない人物で、首を絞める、私の陰茎の写真を撮るなどしはじめたので、私は耐えようもなくなった。このまま殺されるかもしれない。

 夏のある日、私はあまりにも早く目を覚ました。あきれるほどの未明だった。さきほど話題に出したのとは別のヘルパーを私は新しく好きになっていて(彼女は虐待をしなかった)、彼女にプレゼントされた花が部屋の花瓶にささっていた。私はそれを乱暴に引き抜き、手持ち花火のように下向きに束ねてにぎり、そのまま廊下に出た。水滴が落ちたが気にしなかった。廊下の共用のトイレのサンダルを履いて、誰もいないことを確認すると、壁をよじのぼって窓から屋外に脱け、老人ホームの敷地を囲む塀を乗り越えた。植込が脚を傷つけた。まともな靴も用意していなかった。無計画な脱出だと考えつつ、しかし失敗した場合どうなるかなどは全く考えず、私は、とにかく遠くへ、遠くへと、走りまくった。

 日が昇りかけていた。花なんか荷物になるだけなのだから持ってこなければよかった、と私は思った。この邪魔な花を捨てなければならない。私は公園を探した。花をトイレに流せると思ったからだ。道端に捨てるのは、どうしても私には怖かった。それを目印にして誰かが私を見つけ出してしまうかもしれなかったからだ。あとから思えば考えすぎだったのかもしれないが、いっさいの証拠を残したくなかった。公園の水洗トイレに流すこと以外に花を捨てる方法など思いつかなかった。トイレならどこでもよいというわけではなく、たとえばコンビニのトイレだと、店員に花を持っているのを見られてしまうのでよくない、とも考えた。そもそもあまり目撃されたくはない身だ。

 すでに知らない街に着いていたうえに、携帯電話など持っていなかったから、私は街に設置された地図案内板を探し回って歩いたが、それが見つかる前に公園が見つかった。私は、水飲み場の蛇口に駆け寄って自分の足とサンダルを洗い、よく水を切った。ずっと汚れが気になっていたからだ。それからトイレに入って、個室の便器に花を流した。すべてがうまくいっている、と私は思った。無計画の脱走とは思えなかった。個室から出てくると、私はふと排尿したくなった。このあとどこでトイレに行けるかわからない。私は男性用小便器の前に立ち、下のジャージをおろした。

 信じられないことに、パンツの中からあらわれたのは、普段見なれた私自身の古びた陰茎ではなく、子どもの陰茎だった。まっしろでつるつるの、小児の陰茎だった。今思えば幻覚なのだが、幻覚を見ているときには幻覚を見ているという自覚など生じないものだから、そのときの私は、陰茎が子どものものと取り替えられていることに、ただ驚くばかりだった。脳滲透を起こしそうだった。誰もいない朝の公園で、私は子どもになったような気がした。嘔吐しそうになって、大便器の前で膝をついて数分間えずいた。胃袋に何も入っていなかったので、何も吐くことができず、私は個室のドアにもたれかかり、床のタイルの隙間の、子どもの靴に運ばれたのだろう砂利をぼうっと眺めた。

 私はだんだん勇ましい気持ちになってきた。どういう理屈で勇ましい気持ちになったのかは説明できない。機械のスイッチを押したときのように、私という人間が突如、勇ましく振る舞うモードに切り替わったようだった。それまで未熟で気味の悪いものに思われていた子どもの陰茎が、未来と可能性に開かれたポジティブなものへと捉え直されていった。子どもの陰茎には悪質なところがない。単に善である。それをぶらさげた私にはすべてのことが可能である。そう思うと、内的なジャングルが感じられた。私は自由だ。強風が吹いた。目を釣り上げ、吠え、私はふたたび町をでたらめに駆け出した。

 町は姿を変えていた。薄暗く閉じた町の中で私だけがまっしろく光っているように感じられた。私が激突すると電柱はまっぷたつに割れるだろう、そうにちがいないと思えて、電柱に激突したら、本当にそうなった。私は仔猿のように笑った。どう辻褄が合っているのかもわからない幻覚だった。

 いつのまにか料理屋の前にいた。料理屋には市長のポスターが貼り出してあって、自分の住んでいる市の市長だから見たことのある顔だった。こいつを、市長を討たねばならない。奇妙な夢の中で私は確信した。市長を討ち、老人ホームをヘルパーの支配から奪還しよう。老人ホームからヘルパーたちを追い出すのだ。私たちの居場所は私たちのものだと、そう認めさせるためには、どうしても市長を討ち取らなければならない。そのための仲間を集めなければならない、と考えた。

 私は走りながら一秒ごとに想像上の仲間を増やした。まるで私の残像たちが私についてくるかのようだった。さまざまな人種、さまざまな経歴をそのうちに含んだ、大量の老人のパレードを私は経験した。われわれは老人義勇軍だ、と私が先頭から叫ぶと、オオッ、とパレードは応えた。畑に侵入し、全員で歌うと、地面で枯れていたはずのピーマンがみずみずしくふくらんだ。私はそのピーマンで空腹をみたした。その間、ある老人は理論を練り、またある老人は殴り合いの喧嘩をしていた。私はピーマンを噛み砕きながらそれを見て爆笑した。そしてまた町を走り、さらに仲間を増やした。私はいつのまにか老人ホームのトイレで履いていたサンダルからスニーカーに履きかえていた。

 辿り着いたのは森のなかだった。森のなかの小さな公園のアスレチックを睨みつけて、それにのぼらなければならないと私が信じたのが、なぜだったかは覚えていない。市長のスローガンを思い出す。《きもちのあふれる町へ》。私は怒った。それから左ポケットに入っていた生のピーマンを口に放り込み、右ポケットからウイスキー瓶をとりだして、喉を裂く勢いで流し込んだ(このウイスキーはどうやって手に入れたのだろうか、これも記憶にない)。悪霊が市長を絞め殺す瞬間がやってくるだろう――、アスレチックにのぼりながらそんなことを考えていた。そんなばからしいことを考えながら、私はアスレチックから転落した。

 ここまで無事だったのが異常というべきなのだが、この落下は、起こるはずのないことが起きた、という感触を私に惹き起こした。涙が出てきた。もういちどアスレチックに挑戦した。しかし、ウイスキーで真っ赤に酔っ払った老人では、目標は達成できなかった。同じ場所をのぼることに恐怖を覚えるようになっていたし、他の向きからのぼろうとしても、そちらにあるべつの仕掛けに怯えが生じ、引き返してしまう。そんな往復をなんどか繰り返し、疲れきって、近くでふくらんでいた木の根の上に座りこむことしかできなかった。

 アスレチックの前で酔っ払って気絶している私を発見したのは、おどろいたことに、私の娘だったらしい。娘にヘルパーからの虐待についてそれとなく語ると、老人ホームを退所することができた。そして、虐待については裁判で争われるはこびである。話してよかったと思う。しかし、上述の幻覚については一切打ち明けることができなかった。異常な経験はこれっきりだったので、話す必要はなかったともいえる。ただ、問題なのは、れいの子どもの陰茎のイメージが昼夜を問わず思いだされて、そのたびに不安でふるえる思いがすることだ。何ヶ月もそれが続いていて、この感覚の忘れ方を知らない。