パピヨン

 両親の都合ですぐに神奈川に越してきたので、自分が0歳の頃を核家族で暮らしていた部屋の記憶はほとんどないが、その近くにある、中学まで夏になるたび帰省していた祖母の家については、パピヨンの妙に甘い匂いまではっきりおぼえている。しかしそれはパピヨンの匂いではなく祖母の体臭だったのかもしれない。たぶん、そのふたつが雑ざったなにかが祖母の家の匂いだった。僕が生まれる前すでに祖父は死んでおり、僕が中学生のときに叔母が死に、大学生になってから祖母が死に、それで祖母が独りで住んでいた家を売りはらい、パピヨンはいとこが引き取って、そのいとこと僕の父親が絶縁してしまったということだから、祖母も祖母の家もパピヨンも、もう嗅ぐことはありえない。

 いとこがふたり生きている。ひとりが離島で統合失調症になったらしい。おかしな電話をすると聞いた。このいとこは、パピヨンを引き取ったと先述したいとこと同一人物で、繰り返しになるが僕の父親と絶縁しているから事情が複雑である。そういう面倒な事情を抱えていないもうひとりのいとこ(彼の姉)が離島まで行ってくれていればよいと思う。実際すでにそうなっているのかもしれないがよく事情を知らない。治療に辿り着けず統合失調症が真っ直ぐ悪化している可能性もある。

 父方はやや変わった家系なのかもしれない。僕が生まれる数ヶ月前に死んだ祖父は、助手席にぬいぐるみを縛り付け、軍歌を流しながら公道を走っていたらしい。政治的主張があるというわけでもなくて、たんに軍歌を好きだからという理由でそうしていた。全ての持ち物に購入日時と名前を書き、食事は家族と離れてひとりで摂ったともいうから、現代の基準に照らせば診断名がつく人だったのかもしれない。幼少期からお前は祖父の生まれ変わりだということを親戚からよく言われたが、水深5センチメートルの熱湯に浸かってそれを入浴としていた、というような祖父の《逸話》も同じ口から聞かされるので、お前におれはどう見えてるんだよ、と言いたくなることが多かった。ただ、祖父はきつい人生を送った人ではなさそうだから、その点で少し羨ましく感じる。定年後とくに用途もないのに船舶の免許を取得していたらしい。

 あとは、どこどこのおばさん、みたいな、家系図のどこに位置を占めるのか何度説明されてもよくわからないおばさんがこの世にはたくさんいるが、そういうおばさんの一人に聞かされた話で、親族にワニを飼っている兄弟がいる、というのがあった。おもしろそうだと思った。この兄弟は二人とも子どもの頃から身体が大きくていじめをするので嫌われていたが、その後《変な人》に成長し、問題を起こすので親族から縁を切られたらしい。縁を切った切られたという話がこうもぽこぽこ出てくるものなのか判断がつかない。

 こんなことを書いている僕自身も《変な人》のひとりかもしれない(自分がどんなふうに変かという点はここでは措く)。絶縁をされたら困るがそもそも縁という縁が両親以外にほとんどない。

 父親について沈黙するくせが僕にはある。コロナ禍のはじまりの時期に書こうとしたnoteの下書きには、家庭がつらい、と書くことをあからさまに回避している跡があった(そのせいで話の筋が混乱していた)。その理由のひとつには見栄もあったかもしれないが、なにより、家庭についてどう書けばよいかわからなかったのだと思う。とくにいまでも父親がどんな人物かを頭に思い描いてみることはできないままでいる。わからない他人のわからなさを説明することはむずかしい。うまく表現できないことについては基本的にはひとりでつらがるしかない。

 父親は何を考えているかわからない人である。しかし、《何を考えているかわからない人》と言われてひとが想像するような無気力な人物像とは無縁で、むしろわりと明るい。趣味があり、ニュース番組を見て楽しそうに怒る。母親との喧嘩がはじまると、同じ発言を繰り返しながら相手を疲弊させる。このように書くと鈍感な人に思えるが、予防線を貼りながら説得をしてきたり、仕事の電話をしているのを聞くと非常に気を回していたりするので、敏感な面もあることがわかる。父親と喋るとたいてい争いの種を丸め込む作業に専心していることが多く、そんなふうに会話を進められることに疲れてしまう。敏感なのか鈍感なのかよくわからない。……このようなわからなさは、僕が父親に対して抱くわからなさのごく一部でしかないが、わからなさの発生のしかたは大体いつもこのような感じで、父親にAという性質を帰属させて非難しようとした途端にnot Aの証拠も見つかるという形をとっている。

 僕は父親とどう接していいかわからず、一緒にいるとつらいことが多いが、どんな悪口を言ってよいかさえわからないままでいる。向こうも僕に対して同じことを思っているとしたら、と考えてみると怖い。