シュート・アップ

 袴田渥美「【批評の座標 第8回】妖怪演義――花田清輝について、あるいは「どうして批評は面白くなければならないか?」」の註[2]に、絓秀実『花田清輝:砂のペルソナ』を「はじめに読むことはあまり勧められない」というお説教がある。「はじめに読」んでわからなかったなら、そのときは図書館の棚に戻せばいいだけなのだから(高騰しすぎているからいきなり買う人はいないだろう)、放っておけばよい。また、継続力の欠如したわれわれにとっては、たいてい最後に読めと言われているような本からいきなり読むべきだと、相場が決まっている。

 袴田は、絓が「アレゴリー」の神話との結びつきを指摘することによって通常の意味では斥けたはずの「レトリック」の語を使ったり*1、絓秀実『花田清輝』の議論を無視した記述を含む好村富士彦『真昼の決闘:花田清輝吉本隆明論争』を薦めたり*2、絓が「花田清輝の「党」」で提起した柳田国男再評価についての問題に触れるだけ触れてスルーしたりしており、困惑させられるのだが、註[2]には、絓の著作を読む前に「一般的なディスクールを理解したうえで読んだほうが」よい、と書かれていて、これを要するに、絓の著作は「一般的なディスクール」を相対化してくれるが、しかし所詮その程度のものでしかなく、「一般的なディスクール」は結局解体されなかったし、われわれもその内側でやっていく、という宣言と受け取るならば、袴田が絓を実質的に無視していることにも理解が及ぶ。

 たしかに、袴田が記事のタイトルにおいて、「どうして批評は面白くなければならないか?」という問いを立てていることは正しい。なぜなら、「面白さ」など普通に考えてどうでもよいとしか思われないわれわれにとって、まさに花田を通じて問わなければならない問題がそれだからである。袴田がそれに対して与えている答えは、しかし、必ずしも納得のいくものではない。袴田によれば、花田が直面した「40年代のファシズム体制」の現実は錯綜しており、したがって論理によって把握することができなくなっていた。花田はそのような診断を下したうえで、現実を把握する新しい方法として「おはなしの論理」を選びとることになる。

だからここでもういちど、すでに歴史的な役割を終えた、通常、論理と呼ばれてきたものを手に取りなおすことはできない。いまいちど具体的な現実を掴みなおすために手に取られるのは、童話の、言い換えれば誰かに語り聞かせるおはなしの論理であり、レトリックである。花田清輝の選択とは、およそそのようなものではなかっただろうか。*3

 しかし、花田は科学や論理といった道具が「歴史的な役割を終えた」と考えたわけではないだろう。たしかに、「ユートピアの誕生」のような、抽象的な理論に依拠したユートピア幻想に対する批判文が、花田には存在する*4。とはいえ、「ユートピアの誕生」はあくまでもマルクス主義理論の誤った適用を批判した文章であり、その主張自体、マルクスの「論理的」(なものとされる)記述にしたがったものである。科学そのものが「歴史的な役割を終えた」という含意はそこにはない。そもそも、現実が錯綜してきて理論が対応できなくなってきたからといって、因果論的説明そのものを投げ出してしまうのは、それ自体バカげた考えである。因果論(科学)と目的論(道徳=童話)のいずれをとっても、延々と現実を説明し続けていくことができる。

 花田が直面したのは、科学的認識を積み重ねて因果の系列を辿ることが不可能であるという問題ではない。彼が直面したのは、むしろ、科学的な方法をとっているかぎり、単に現実の表面をなでまわすことしかできないのではないかという、人びとの徒労感や退屈、言いかえればニヒリスティックな気分の問題である。袴田の論述にしたがうならば、花田の批評が「面白い」のは、「童話」の論理に基づいて現実を描写してみたら「面白」くならざるをえなかったためだ、ということになるだろう。しかし、話は逆であり、まず「面白い」批評を描かなければどうしようもないという意識があって、そのために「童話」を持ち出したのが花田だったのではないかと思われる。

 また、袴田は「袴田は「どうして(why)批評は面白くなければならないか?」という問いに執着することなく、「どうやって(how)面白い批評を書くか?」という問いにも取り組んでいるようにもみえる。そして、その答えは、「童話」的で無軌道なおはなしマルクス主義に「他律」させることによって、というのものだろう。しかし、その答えもまた疑わしい。というのも、袴田は「童話考」を参照しながら論述を行うが、「童話考」は「童話」(およびシュルレアリスム)に対する批判を含む文章だからである。「童話」のお決まりには、自然界から目的の国へ逃避しようとした作者たちの「人間臭が立ちのぼ」っている*5。袴田の記述にしたがうならば、花田はそれを次はマルクス主義イデオロギーという新たなお決まりに挿げ替えただけのことであり、やはり「人間臭」はぬぐえないままで、そんなものは「面白」くないのではないか。

 「どうして批評は面白くなければならないか?」というwhyの問いに、以下の回答を与えておきたい。すなわち、たとえば「ファシズムは面白い」という世の中のムードがあったとして、それに対して一方では「「面白い」とか言ってちゃダメでしょう」という、原則的・論理的な批判が、随時なされなければならない。たとえば、大西巨人「現代におけるソレルのヴァリエーション」*6などがそうした一例である。しかし他方では、「いやファシズムなど面白くない、マルクス主義こそ面白い」と答えてやるような戦法が有効な場面もまたある。花田は「政治の美学化」というファシズム的現状についての認識を持っており、「今日の現実が、一面あまりにも童話的である」*7とは、そのような意味である。そうした認識のもとで、自覚的にそれに巻き込まれながら抵抗を行った書き手が花田だった。たとえば、「ソクラテス」において、話者の一人は次のように語る(なお、「女の論理」も、ソクラテスではなくイエスが引き合いに出されている点を除けば、論じられていることは同じである*8)。

ご承知のように、アリストパネスの『雲』に登場するかれは、猛烈なソフィストですが、そういう一面がなかったなら、とうてい、かれには、毒をもって毒を制することができなかったはずです。いかなるソフィストよりもソフィストであり、かれらの長所や欠点を、たなごころを指すごとく心得ていたからこそ、かれはかれらの最大の敵になりえたのでしょう。*9

 このように考えたとき、予想されるのは、花田の抵抗は「美学的」で「面白い」ものでなければならないだろうことである。「マルクス主義こそ面白い」という紋切型は、単に言われるだけでなく、その「面白さ」が実際に演じ示されるのでなければならず、したがって、批評は実際に面白くなければならない。それは、「なぜ批評は面白くなければならないのか」という問いへの答えである。その身振りは、「いかなるソフィストよりもソフィストであ」ったソクラテスや、「女の論理」に登場するイエスを反復する。たとえば、花田がおこなった論争は「面白い」ものが多いと思う。袴田が「サルトビ・レゲンデ」について「くねくねと蛇行する花田の語り」と呼ぶものもまた、花田の「面白い」芸のひとつである。それだけでなく、花田が「童話」を評価する理由さえ、ほとんどただただ「面白い」から、ということに尽きる気がするし、そうだとすれば、シュルレアリスムおよび1920年代のアヴァンギャルド芸術についても同じ見方が当てはまる*10。なぜそのように多様な戦法をとることが可能だったのかといえば、それは花田がもともと西田幾多郎にハマるような「面白」主義者だったからである。「旗」には、西田哲学と、それに似たプラトニックな恋愛とに夢中になっていた学生時代の花田の姿が描かれている*11

 ただし、花田の抵抗は「美学的」であるだけでなく、「反・美学的」な契機をも持っていたことが重要である。「マザー・グース・メロディ」では、「「本当の悪人」がダリの「逆をゆく」」ことについて論じられているが、そこで志向されているのは、「美学」内部において戦われる対決であるだけではなく、むしろ、それと同時に、「美学的」なものの全体を相手どって戦われる対決でもある。

超現実主義者のダリは、内部の現実を、外部の現実によって置きかえ、精密に表現しようとした。本当の悪人は、その逆をゆくだけのことだ。無意識の世界も、物質の世界も、いずれもナンセンスではあろうが――しかし、本当の悪人にとっては、悪事をはたらくということが第一義であり、行動の世界から遊離した無意識の世界よりも、それと密接なつながりをもつ物質の世界のほうが、はるかにナンセンスにみえるだけのことだ。*12

 花田にとってのナンセンスとは、何よりも、ボン・サンスの世界をぶちこわすものである。たしかに、ボン・サンスに支配されない「本能」のようなものもまた、ナンセンスと名づけることができるだろう。しかし、そのような内部の世界に依拠しない点に花田のアヴァンギャルド芸術論の特徴がある。花田にとって重要なナンセンスとは、それよりも、ボン・サンスを超越した、外部の世界の「物質」――花田によれば「物それ自体」であり、マルクス主義はそれを説明する「公式」と見なされた――であった*13。『アヴァンギャルド芸術』全編を通じて、花田は、外的世界における物質のナンセンスさを誇張してみせるべきだと訴えている*14

 物質性の誇張は、誇張である以上、精神的な仕方でなされざるをえないとはいえ、そこで目指されるのは、物質性の側から精神性を排撃することである。花田は、「童話」の論理にしたがう書き手であっただけではなく、同時に「童話」と抗戦しようとした書き手であった。「現実的なものとはどこにあるのか」*15という問いに、「外部」と端的に花田は答える。たとえばデリダが、ロゴス的な語彙にあえてしたがい、そのことによってロゴスに抵抗しようとした書き手だったとすれば*16、それとは対照的に、「童話」の論理にあえてしたがうことで、「童話」に抵抗しようとした書き手こそ、花田だったといえるだろう。

 こんなふうに花田の特徴をいくつ挙げたとしても、それだけでは花田の批評の「面白さ」を言い尽くしたことにはならないかもしれない。なぜなら、花田がどれだけ多様な戦法を編み出したとしても、所詮それらすべてが「政治」に拝跪する恰好でなされていたのだとすれば、せっかく「面白い」はずの批評もしらけてしまうからである。それならば、ある意味での非転向を貫いて、西田幾多郎的な「面白さ」や「独創性」でも演じているほうがまだよかったのではないか、ということになりかねない。そのような理由にもとづいて、たとえば、「サルトビ・レゲンデ」が「マルクス主義の教科書」的な史観に収束することを「つまらない」と感じた人も実際にいただろうし、もしかすると袴田もその一員だったかもしれない*17

 「マルクス主義の教科書」的な結論を「つまらない」と言い切ることができないとすれば、それは、花田が必ずしも「政治」に拝跪した書き手ではなかったと考えられるからである。たしかに、花田がマルクス主義者であり続けたことの動機は、ひとつには、食うや食わずの「飢餓の経験」に学んだということも当然含まれるだろう*18。しかし、それ以上に、たとえば、『アンナ・カレーニナ』よりもソヴィエトのプロパガンダに用いられた紙芝居を評価することによって、ヒューマニスティックな「美学」や「ボン・サンス」をぶちこわしたい、という動機を手放さなかった点に、花田の特徴がある。花田はあくまでも「楽しいからやっている」という(反芸術主義的な)芸術家のエゴイスティックな動機のもとで文章を書き続けた。

一言にしていえば、私は芸術家マキャヴェリの姿を前景に押し出し、いささか俗うけのするポーズをしめす国家主義マキャヴェリ、或いは貧血症の道徳家マキャヴェリの姿を後景にひっこめてしまいたいと思うのだ。*19

 「楽しいからやっている」かぎりにおいて、「「慷慨談」の流行」*20に代表されるような花田のマキャヴェリズムは、不愉快でなく、むしろ愉快だった。また、花田が「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」ことを提唱するときに念頭に置かれているのもまた、教科書的なマルクス主義に「童話」的なものと手を組ませ、近代ヒューマニズム(「紳士」たち*21)を挟撃させるという、マキャヴェリスト(芸術家)の戦法である。この動機が理解されることによってこそ、彼の提起し実践する戦法が「面白い」ものとして読まれうる。

 花田はドン・ファン型の書き手を自認した*22ドン・ファン型とは、自ら女たちを愛するのではなく、むしろ女たちをして彼自身を愛さしめるような人間類型を指す。それは外部世界を徹底的に操作しようとするマキャヴェリ的なあり方と通じている。花田によれば、ドン・ファン型であることはマルクス主義による「他律」と相反せず、むしろその必然的な帰結である。というのも、ヒューマニズムを排し、「他律」的観点から世界を観察することによって、はじめてドン・ファンは誕生するからである。

真のドン・ファンが、いとも簡単に観念にたぶらかされたり、肉体にひきつけられたりする、こういうだらしのない恋びとたちに、全然、似ていないことはいうまでもなかろう。人間よりも動物を、動物よりも植物を、さらにまた、植物よりも鉱物を、一段とすぐれたものとしてながめているかれの眼には、それらの観念や肉体が、鉱物にくらべると、いかにも不順で、脆弱で、不安定で、魅力を感ずるどころか、一応、解体し、いっそう整然と再組織する必要のある「材料」としかみえないのだ。*23

 花田は物質に着目することによって人間的「自律」のヒューマニズム神話に対抗したのであり、かつ、そのことによって、ドン・ファン型の「面白い」書き手たりえた。したがって、花田の「面白さ」にとってマルクス主義が非常な重要性を持つとすれば、それが「「人間臭」のしないもの」――言いかえれば「童話ではないもの」、具体的には「物質」――の公式と捉えられていたからである。「サルトビ・レゲンデ」は、袴田に反して、「童話」の人間的「自律」(「かぐや姫は月に帰る」)をぶちこわすために、物質的「他律」のナンセンス(マルクス主義)を花田が呼び寄せた文章として読まれるべきである。

 もし、「サルトビ・レゲンデ」の論述に予定調和を読み取ってしまう敏感な読み手がいるとすれば、「教科書的なマルクス主義」が実際には物質主義的必然とは結びつかないヒューマンな代物だと彼が知ってしまっていることがその理由だろう*24。しかし、その敏感さによって、「猿飛伝説」がもはや粉砕しえなくなってしまうのだとすれば――たしかに袴田は「2年前までヨーロッパ中を大戦争に巻きこんでいたナポレオンが実在しなかったと誰が信じるだろうか」*25と言って、外部世界については「ナポレオン実在派」のニヒリスティックな認識を示している――退屈なので拒絶したい。

*1:絓秀実『花田清輝』、講談社、1982年、30頁。

*2:絓秀実『吉本隆明の時代』、作品社、2008年、115頁、註[21]参照。

*3:【批評の座標 第8回】妖怪演義――花田清輝について、あるいは「どうして批評は面白くなければならないか?」(袴田渥美)|人文書院

*4:ユートピアの誕生」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、125-133頁。

*5:花田清輝「童話考」(『花田清輝著作集』、未来社、1964年所収)、237頁。

*6:大西巨人「現代におけるソレルのヴァリエーション」(『大西巨人文芸論叢・上:俗情との結託』、立風書房、1982年所収)。

*7:花田清輝「童話考」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、237頁。

*8:花田清輝「女の論理」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、12-13頁参照。

*9:ソクラテス」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、302頁。

*10:花田清輝「二十年代の「アヴァンギャルド」」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、200-208頁。

*11:西田哲学の「独創」性・「面白さ」について次のように花田は回顧する。「独創的? いかにもそれは独創的にちがいなかった。著者はヨーロッパのいろいろな市民哲学を「批判」しながら、たくみにわが国の封建的イデオロギーを生かしていたからである。それは反封建性的支配政権みずからが、あたらしい市民的発展に順応してゆく過程に、それの反映としてあらわれた、モニュメンタルな労作であった。そうして、わが国の資本主義が独創的であるように、正しく独創的であったのだ。」(花田清輝「旗」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、341-342頁。)

*12:花田清輝マザー・グース・メロディ」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、108頁。

*13:花田清輝マザー・グース・メロディ」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、102頁。/「いかに奇矯に聞こえようとも、花田清輝にとってマルクス主義とは「理論」や、「思想」「方法」といったものではありえず、常に「公式」として存在してきたのであった。」(絓秀実『花田清輝:砂のペルソナ』、講談社、1982年、59頁。)

*14:「鏡の国の風景」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、150頁。

*15:袴田渥美「薔薇の弁証法、あるいグラディーヴァに出会うためのいくらかの不可思議なある実験についてのレポート」(「ラッキーストライク」第2巻、2022年所収)、182頁。

*16:「だから、このような言語から解き放たれることを試みなければならない。いや、それはわれわれの歴史を忘却することなしには不可能である以上、解き放たれることを試みるのではない。それを夢見るのだ。解き放たれるということは無意味だし、われわれから意味の光を奪うことになるのだから、解き放たれるのではない。可能な限りそれに抗うのだ。」(デリダ、若桑毅訳「力と意味」(『エクリチュールと差異(上)』、法政大学出版局、1977年所収)、52頁、強調原文。)/「形而上学の根底を揺さぶるために形而上学の諸概念を使わずにすまそうとしても何の意味もないのであり、その歴史に無関係であるようないかなる言語も――いかなる構文も、いかなる語彙も――われわれには持ち合わせがないのであって、まさに当の命題によって否定しようとするところのそのもの自体のもつ形式や論理や暗黙の公準のなかに忍び込んでしまっていないような、いかなる破壊的な命題もわれわれは述べることができないのである。」(デリダ野村英夫訳「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」(『エクリチュールと差異(下)』、法政大学出版局、1983年所収)、215頁、強調原文。)

*17:絓は、花田のマルクス主義が「つまらない」ものへと変質していく過程を戦後という環境に求めている。「しかし、おそらく1945年の日本の敗戦とそれ以後に形成された「戦後」という環境は、〔…〕花田をマルクス主義者という「一つの抽象」的な存在にしたという側面をまぬがれない。『復興期の精神』に収められることになる戦後に書かれた二つの論文「変形譚」と「笑う男」が、他の戦時下執筆のものに較べていかにもつまらないのは、そこにおいてマルクス主義常識のみが語られているにすぎないからである。」(絓秀実『花田清輝:砂のぺルソナ』、講談社、1982年、113頁。)しかし、「マルクス主義常識」を語る花田を肯定することは、絓に反して、可能かもしれない。あえて紋切型を放ち、そのことによって新しい効果を生もうとする試み自体、花田的といえるからである。

*18:花田清輝「旗」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、342頁参照。

*19:「政談」(『花田清輝著作集Ⅰ』、未来社、1964年所収)、31頁。

*20:「「慷慨談」の流行」、『花田清輝著作集Ⅳ』、未来社、1964年所収)、269-282頁。この文章で花田は、アメリカ軍基地の駐留に反対するならばソ連に追い出してもらえばよいではないか、と提案する。狡猾な「政治家」として振る舞うことをあくまでも避け続ける左派・リベラル派に対する批判・揶揄がその背景にある。

*21:花田清輝「反俗的俗物」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、483頁。

*22:「ひと口にいえば、わたしの媚態はドン・ファン的だが、太郎のそれはカザノヴァ的なのだ。」(花田清輝「芸術のいやったらしさ」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、475頁。)

*23:花田清輝ドン・ファン論」(『花田清輝著作集Ⅲ』、未来社、1964年所収)、42頁。

*24:絓秀実『花田清輝:砂のペルソナ』、講談社、1982年、115頁参照。

*25:【批評の座標 第8回】妖怪演義――花田清輝について、あるいは「どうして批評は面白くなければならないか?」(袴田渥美)|人文書院