キングハイツ

 肥った、という印象を与える銀色の車の中からすぎやまこういちの顔したジジイがあらわれ、鳥が死ぬときみたいにこちらに近づいてきた。きみがミドウ君ですね、よろしくお願いします。会ってすぐそんなこと言うかねと、そう思ったとたん、川に遊びにいくとき以外ではありえない彼の七分丈のシャカシャカしたズボンにも腹が立ってきた。ぼくはカップルがめちゃくちゃベロチューしているのをみては突然の瞑想を強いられ、これはなにか侵害されてるのではないかなどと考えたりしながらこいつを待っていたのだ。すぎやまこういち。川遊び。バカにされてるんじゃないのか。夕方の駅前だった。

 とつぜん、すぎやまは足元を歩いているけっこう大きい蛙をすばやく踏み殺し、ぼくの顔を覗きこんだ。ぼくはすぐに目を逸らした。蛙の骨がぼきぼき折れる感覚を自分の足の裏に想像して、ぼくは嫌な顔をつくった。そして、それからゆっくりと、すぎやまの思い通りにうごかされている自分の状況を嫌悪した。本当なら、蛙を踏み殺すなど許せないという気持ちをまずは持つべきだったといえる。だが、そんなことに思い至るのは、ぼくが彼の車に乗り込み、車が発進し、空調も効きはじめてからのことだった。即時ひっぱたいて帰ればよかった。しかし、ぼくは車に乗り込んでしまっていた。彼の運転する車はすでに住宅街をくねくねと進行しており、いまにも目的地に到着してしまうだろう。ぼくはズボンのポケットの表面をさわり、そこに押し込められた自分の家の鍵が、みすぼらしく錆びていくまでのながい過程の中に置かれているということを不思議にたしかめながら、助手席にすわっていた。

 ぼくの兄の友人がアルバイトを斡旋してきたのだった。彼から仕事を請けるのははじめてではない。いつも、どこそこの駅前へ向かって待ってればよい、ということを知らされるだけで、業務内容を教えてくれることはなかった。車が現れる。乗り込む。どこかに着いて、降ろされる。説明を受けて、従う。少し偉そうにしている人間から現金を手渡される。これに何度も助けられてきたのだ(何度も、という気がしていたがよく考えたらこれらの仕事をぼくが請けたのは4回しかなかった。そのうち3回はサクラをやった。1回は心理学の実験に付き合った)。それで、同じ流れに身を任せていたら怖いのが来てしまった。もうこういうことはやめようと思った。すぎやまもぼくも車内で口をきかなかった。

 キングハイツ、とのことだった。百魔、と言われているのと同じ気持ちになった。マンション内の通路は狭くて涼しく、ぼくの機嫌を少しなおした。通路ですぎやまはぼくの前を歩いていたが、目的地と思われる部屋のまえにつくと無言で停止してポケットをあさりはじめた。ズボンにポケットがいくつもついていて、どこに入れたか忘れたのだろうが、しばらくすると彼は彼の細い太ももやひざの周辺をたたきはじめていた。ぼくはそれを見ていたくなかったので、表札を眺めて時間をつぶすことにした。その部屋の表札にはすぎやまの本当の苗字が漢字とアルファベットの両方でしるされているのだが、アルファベットの部分にまで和風のフォントが採用されていて力が抜けた。あのう、メールは読んでくれましたか、ミドウ君。おまえはまだポケットをあさっているのだから急に喋り出さないでほしい、と思ったが、そういうものだ。いやあ、わからないです。声に出してみるとわれわれの会話がすぎやまのほうのテンポにすっかり規定されていることを思い知った。それはよくないことだった。老人になってもこのような会話のテンポでは喋りださないことにぼくはきめた。老人のように喋る老人というのはみんな、こんなふうに考えることを一度も思いつかない若者だったものにすぎない。気づけばもはやすぎやま個人に向けられてすらいないような苦情を噛みつぶしていて、内実のなさに気づいてぼくは少し恥じた。そしてその瞬間を解ったかのような急所のタイミングですぎやまはポケットから鍵を発見し、ちいさな声でなにかおそらく無意味なことをつぶやいて、鍵孔につっこみ、ぐり、とまわした。

 扉を開けるすぎやまの背中越しに、散らかった部屋がみえた。部屋の左奥に老人の本棚が待ち伏せていた。何度消しても汚れが落ちなくなったホワイトボードが立っていて、図とそれを説明する赤字が書き込まれており、端には古びたイレーザーが斜めにはりついている。すぎやまが振り向きながらどうぞと言う。ホワイトボードやイレーザーについて自慢げにみえるなあ、などとすぎやまへの文句を考える仕事にすでに移っていたため、ぼくは彼の声にうまく反応することに失敗し、小さすぎる歩幅で二、三歩進み出るはめになった。するといくつかの声に出迎えられ、視界を下げると60代が3人寝そべるように座っていた。人生で何も起きずただ彩度の低い紺色のトレーナー着てるだけの三島由紀夫(もしかすると彼だけは50代だったかもしれない)、辮髪の植松伸夫、どこにでも走ってる人、というのがそれぞれの見た目だった。彼らの取り囲む低い机は鍋とそれぞれの取り皿、缶ビール、灰皿などで埋まっていて、本やノートは地べたへ追いやられていた。

 三島がやさしすぎる口調でいう。

「我々は、宇宙を司る鳥の誕生を科学的に祝おうという集まりなんだけど、その点はすでに聞いてるんだよね?」

 聞いていない。

 聞いていないのだが、しかし、ぼくは曖昧にうなずき、すぎやまがそうするのに倣って床に腰をおろした。すると彼らは缶をこちらに差し出してきた。乾杯ということだろうか。戸惑っていると、彼らは、いいよいいよ、と言ってきた。彼らのうちの一人が、ぼくの手に無理やり押し付けてくる。仕方なく缶を開けて口をつけた。すると彼らが再び口を開いた。

 まず、我々の目的はだね、宇宙を司る鳥の羽ばたきによって、人類が滅亡する日を算出することであって、それはすなわち我々の命運が尽きるということだ。しかし、その前に我々の命運が尽きたあとの世界を想像してみたい。そうすれば、我々はその世界に希望を見出すことができる。我々の魂は死後、宇宙を構成する物質の一つとなるのだ。この世界の仕組みが解明されたとき、我々はその事実に驚愕するだろう。そしてそのときこそ、我々は人類の未来に、絶望ではなく、希望を見出せるのだ。その瞬間、我々の魂は、死という恐怖から解放され、肉体という牢獄から解き放たれ、宇宙の一部となり、新たな生命として生まれ変わる。我々の肉体は朽ちるが、精神は生き続ける。我々は死を恐れる必要などなくなる。

 缶を口から離して一息つく。それぞれが考えごとをして、少しの沈黙が流れた。そして三島が意を決したかのように言う。ミドウ君。きみのことがとても好きなんだよ。その言葉にどう反応すればいいかわからなかったので、とりあえずもう一度缶の中身を口に含み、反応する権利と義務を同時に放棄することにした。口を使えないからただ眉をひそめていればよい状況を自ら作ったのだ。誰も三島を否定しなかった。それを観察して三島はさらに続けた。ミドウ君が来てくれて本当にうれしいよ。

 きみは我々にとって救世主なんだ。我々は君に感謝している。きみが来てくれたことで、我々はより深い議論を行うことができている。そして、我々はそのことに興奮を覚えずにはいられない。今、ここにいる4人は皆、きみと同じように、宇宙の神秘について興味を持っている。それなのに、どうしてこんなに違うのか。我々には、宇宙の真理を解することができない。我々はただ、宇宙の理を想像することしかできないんだ。

 この人たちとぼくとは同じ種族ではない。ぼくはそのことを頭で何度も唱えた。そのことによってなかば安心するような気持ちになった。さらにいえば、やや不思議なことだが、勝ち誇ったような気持ちにすらなった。安心し、勝ち誇るために、このことの確証をもっと強められたらいい、と思った。その欲望に少し下卑た感じがあることにぼくは気づいていたが、だからといって抗うこともできないまま、ぼくの口はその欲望に突き動かされた。宇宙の真理ってなんですか。

 すると、彼らは顔を見合わせ、しばらくのあいだ黙り込んでしまった。やがて三島が、

「それは、」

と言いかけたところで、植松が言葉を遮った。

「それは、やっぱり、宇宙を司る鳥の羽ばたきによって、世界が滅亡する日がわかるかどうかによるんじゃないかなあ」

「そうか、そうだね。確かに、そういうことになる。うん」

「ああ、きっと、そうなると思うよ。ねえ、すぎやまさん」

「ああ、もちろんだとも(そんなこと言うかね、と思った)。それに、もしそれがわかれば、我々はもうすぐ死ぬということになるわけで、その時、我々が何を思うかで、我々の真価が決まると言えるかもしれない。つまり我々は、宇宙を司る鳥の羽ばたきによって、我々自身の価値を決めるということだ」

「なるほど、それは面白い考えだな。しかし、宇宙を司る鳥の羽ばたく日がわかったとして、我々はその日に、どのような態度を示すべきなのかなあ」

「そりゃあ、やはり、感謝すべきだね。我々は今まで、宇宙に対して何もしてこなかったんだ。我々は無力だった。だから、せめて最期くらいは、宇宙に対して敬意を払うべきだね。我々は宇宙に、ありがとうと言うべきだ」

「しかし、我々が宇宙に感謝しても、宇宙は何も感じないんじゃないだろうか。我々の行為が、宇宙に何かをもたらすとは思えないな」

すると三島がいった。

「宇宙を司る鳥が我々に気付くことはないだろう。しかし、宇宙は我々を見つめているのだ。我々はその視線を感じることができる。宇宙は常に我々を見つめている。我々の存在に気付きながら、我々のことを無視しているのだ。我々の存在に気付いた上で、我々のことを見下しているのだ。そして我々を見下しながら、我々を観察しているのだ。我々は常に宇宙に見られている。我々は宇宙から監視されている。我々は宇宙に生かされているのだ。我々は宇宙に愛されなければならない。我々は宇宙を愛していなくてはならない。我々は宇宙を敬わなければならないのだ」

 一気にたくさん喋るのは正しいことを言うときだけにしてほしいと思った。ゆっくりとした語調で、矢継早に、間違えていた。ホワイトボードには真っ黒になるほどの図が書き込まれているのに彼らはそれを一切使わずに全てを説明しようとしていることと、ランナーのような細い男が一人だけ全く喋らずにただ焼酎をちびちびとなめつづけていることが、どうしても可笑しかった。そして、可笑しいと思えば思うほど、自分がちっぽけで情けない場所にいるぞ、という自覚もまた湧いた。先程まで妙な安心を覚えていたぼくが、こんどは急激に、可笑しさと同時にみじめさを感じていたのだ。この、可笑しさとみじめさというふたつは、実のところぼくにとって表裏だった。ひとつの図形のとるふたつのアスペクトだった。そして、そんなことを老人たちに伝える勇気もなければ必要もないだろうと思ったので、とにかく無言で座っていた。洗面所をちらっと見たら木刀が転がっていて、大概にしてくれと思い、声を出さずに絶叫した。

 ぼくの表情を見てとり、三島は口を出してきた。大丈夫だよ。きみはまだ若いんだから。はい、と答えた。三島は続けた。

「きみはこれから、色々なものを見るだろう。そして、きみは様々な経験をするだろう。きみはその中で、自分の人生について考えるだろう。きみはきみなりに、自分の人生を生きるだろう。そのとき、きみは自分の中で、自分の価値を見出さなければならない。そのとき、きみは自分の中にある宇宙を見出さねばならない。そのとき、きみは宇宙と一つになって、宇宙と調和しなければならない。そのとき、きみの中に宇宙がある」

 ぼくはそうですかと感嘆してみせ、そのあと少し時間をあけて、トイレを貸してもらうことにした。嘔きそうになっていたからだ。あいだに少し時間をあけたのは、三島の話のせいでぼくは嘔くのだが、三島の話のせいで嘔いたと思われたくなかったからだ。もしそう思われれば、きっとぼくは話の壮大さのせいで嘔いたということにされてしまうだろう。そうではなくて、話があんまり卑小なせいでぼくは嘔くのだ。ホワイトボードに書かれていることが理解できないからではなく、きっとそれらを数時間で完全に理解できてしまう――そしてもちろんその体系は完全に間違っている――だろうからこそ、ぼくは嘔くのだ。ぼくは便所に入ると、《すぎやまが普段排泄する場所》に顔面を傾けた。そして音を響かせないように嘔吐した。ぼくが帰ったあとすぎやまの家には吐瀉物の酸っぱい匂いがのこるだろう。しかしそこは老人だから、そんなことにはきっと気づかないにちがいない、ともぼくは思った。