コーモラント

 つげ義春の脳のかたち、これはたしかに存在する。つげ義春は存命なので、彼の脳がどんなかたちをしているか、今からでも調べることができる。彼が亡くなれば、彼の脳のかたちを調べることはできなくなるだろう。しかしどちらにしても、つげ義春の脳のかたちというものはある。誰にも知られない事実はある。つげ義春の脳のかたちは、それ以外の世界のあらゆる事実といっしょになって、いわば《世界のすべての出来事がしるされた一冊の書物》のうちに保存されている(そんなものが実際に存在するという意味ではない)。脳のかたちはもちろん一瞬一瞬変化しているだろうが、その一瞬一瞬の変化の全てをふくんで、その《書物》は保存する。

 さらに、つげ義春が代表作『ねじ式』を描く際に最も大きな役割を果たした脳の箇所というものもまた、存在する。脳の構造や働きは本当にそのような特定を受け付けるだろうか、というような指摘をしたくなるかもしれない。しかしそもそも私はつげ義春や脳のしくみにかんして有意義なことを言いたい者ではない。『ねじ式』執筆時点でのつげ義春の脳をひたすら分割し、それぞれが『ねじ式』へどれだけ貢献したかくらべるという強引なトーナメントの果てに、第一位にかがやく脳の箇所があるはずだ。というか、無理やりそのように操作すれば、それはそうならざるえないだろう。

 つげ義春の脳、それも『ねじ式』執筆期のつげ義春の脳と寸分たがわず同じかたちをした地底湖に、少年の声がひびいたのは、人類が文字を獲得するより遠く以前のことである。シシ! シシ! 彼は地底湖の壁にへばりついて弟の名前を呼んだ。その地底湖のうちの、つげ義春が『ねじ式』を書きあげる際に最も大きな役割を果たした箇所に丁度あたる位置で、弟はすでに溺れ死んでいた。兄はそれを知らぬまま、地底湖の底深く潜り、弟を捜索しつづけた。